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親鸞聖人影絵伝〜出家学道〜【全編公開版】

親鸞聖人影絵伝

 

※必ずご確認ください

 

・この物語の絵は覚如上人の『親鸞伝絵(善信聖人絵)』を基としています。

 

・親鸞聖人の史実に関しては諸説あることをご了承ください。

 

・影絵中の慈円和尚の詩は史実ではございません。江戸時代後期の曹洞宗の僧侶良寛の作と伝えられている詩を用い、更にともしえが独自に下の句を加えていることをご理解ください。「いつか…」と言われた慈円和尚に対し「今」命を終える身であることを詠まれた親鸞聖人のお心を対比する形で表現しました。

 

配役

 

セリフ
A.ナレーション・松若丸
B.慈円・お供@
C.範綱・お供A

 

 

シーン@


親鸞聖人影絵伝

 

承安3年 1173年5月21日、親鸞聖人は現在の京都の東南にあたる日野の里でお生まれになられました。幼き頃の名前を松若丸と呼ばれたと伝えられています。
おもえば親鸞聖人が生きられた時代、とくにその幼少期から青年期にかけては、日本の歴史の流れが大きな転換期に向かった時代でした。親鸞聖人の生まれである藤原家の勢力は衰退の一途をたどり、幼い聖人の生活は決して恵まれたものであったとは言えなかったでしょう。
騒然とした生きにくい時代に誕生された親鸞聖人は、九歳の春、得度式を受け僧侶となることを決意されたのでした。
得度式を受け、比叡山で修行をするため、伯父の範綱やお付きの者に連れられてこの東山の青蓮院を訪ねられたのでした。

 

シーンA


<お供@>「やっと青蓮院までつきましたね。」
<お供A>「そうですね。松若丸様も長旅おつかれさまでした。どうぞ。中にお進みください。」
<松若丸>「はい」
<お供@>「ふぅ。。。無事に青蓮院にまでたどりつことができたな」
<お供A>「ああ。無事で何よりだ。。。しかし街はこの数年でずいぶんと変わり果ててしまったようだ。街中死人であふれ、疫病が蔓延している。。。この街はどうなってしまうのだろうな。。。」
<お供@>「困ったものだな。そうだ、お前にも松若丸様と同じ九歳の子供がいるんだったな。」
<お供A>「あぁ…だが、あいつはまだまだ甘えん坊だ。松若丸様と同じ年とは思えないな。笑
<お供@>「そう思うと、松若丸様の覚悟はたいしたもんだぁ。」
<お供A>「そうだな」

 

シーンB


(風が吹くイメージ)
<お供@>「桜か。。。もうそんな時期か。。。桜はいつの時代も美しい姿のまま。。。いつか散りゆくことを忘れてしまいそうだ。。。おっと、もうこんな時間だ。得度式も明日になるだろう。今日は我々もゆっくり休むとしよう。」

 

シーンC


<範綱>「慈円殿。本日は誠にありがとうございます。」
<慈円>「おお…範綱どの。この子が松若丸か。遠慮はいらぬ。そなたも顔をあげなさい。」
<松若丸>「はい。」
<慈円>「まだ幼子のように見えるが、そなた年はいつくだ?」
<松若丸>「はい。年は九歳です。」
<慈円>「ほう。九歳にしてはしっかり話をしよる。しかし、ここ比叡山に入るということはいくらしっかりしたそなたでも、容易いことではないぞ。。。。その覚悟がそなたにはできているのか?」
<松若丸>「はい。覚悟はできております。」
<慈円>「よかろう。そなたのその言葉が聞きたかったのだ。では、今日はもう遅い。続きは明日としよう。」
<松若丸>「…はい。」

 

シーンD


(風がまた吹くイメージ)
<慈円>「桜か。今年もとてもキレイな桜が咲いた。桜はいつの時代も変わらず美しいのぉ。
(すこし間をあけ)
そなた、昔からこのようなうたがあるのはご存知だろうか。

 

散る桜残る桜も散る桜
ひとところにていつかあわん

 

なんと美しいうただろうか。散りゆくことはこの世のさだめだ。しかし、残りゆく桜にもいつか同じところで会いましょうと力強くそして!優しく散りゆく桜が語りかける。それはまるで私たちの命のようではないか。」
<範綱>「さすが、うたがお好きで有名な慈円殿…松若丸、お前もこの慈円殿のもとで、そのお心をしっかり学ぶんだぞ。」

 

シーンE


(間をおく)
<松若丸>「慈円さま!私もお聞きいただきたいうたがございます。」
<範綱>「松若丸よ。そんな出過ぎたまねはよせ。」
<慈円>「よいではないか。さぁ。そなたのうたを聞かせてはくれないか。」

 

<松若丸>「はい。

 

明日ありと 思う心のあだ桜 夜半に嵐の吹かぬものかわ」

 

<慈円>「ほう。」
<松若丸>「私もその桜と同じ命でございます。いつか散りゆくのではありません。
今日とも、明日ともしれず…終えていかなければならない命なのです。このうたには私のその命の真実をのせてよませていただきました。いつ散るかもわからぬこの命。。。いま!得度式を執り行っていただけませんか?」
<慈円>「それほどの想いがおありか…
なんと心にしみるうただろうか…
うたは心だ。そなたの心はよくわかった。
それでは今から得度式を執り行うとしよう。」

 

<慈円>「これから得度式を行うぞ!準備にとりかかるのだ!」

 

シーンF


そしてこれから僧侶として生きる松若丸の厳しい厳しい比叡山での修行が始まるのでした。

 

<慈円>「そうだ。得度式を終え、僧侶となったそなたに新しい名を授けよう。これからそなたは範宴と名乗りなさい。範宴の範という字はそなたの父からいただいた一文字、範宴の宴、宴(うたげ)という字は仏様の救いの姿からいただいたものだ。私たちが仏となるとき、それはまるで悠々と遊ぶかのように、楽しむように人々を救う仏となる。範宴。
良い名ではないか…ゆかれるがよい。そなたの道を。」

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